戦国武将・羽柴秀吉の家来に“賤ヶ岳の七本槍”と呼ばれる武将がいました。柴田勝家と雌雄を決する大事な戦さで活躍した武将達です。彼らは秀吉の小姓で、九人いました。福島正則、加藤清正、脇坂安治、加藤嘉明、片桐且元、平野長泰、石川一光、糟屋武則、桜井左吉らです。後に、石川一光と桜井佐吉が死亡した為、勇敢な九本槍は、後世に『七本槍』として伝わった。その後、この七本槍が成長し、秀吉の天下統一の原動力となりました(武功派)。一方、秀吉はこの他に“五奉行”と呼ばれる家臣がいました。五奉行は政権運営をした行政官で“文治派”と呼ばれています。石田三成、浅野長政、前田玄以、長束正家、増田長盛が五奉行です。この武功派と文治派は仲が悪く、近江閥と尾張閥という出身地域の違いが微妙に絡み合い対立しました。やがて、この対立が豊臣政権を瓦解させる一因となった。
さて、平成の世にも“七本槍”ならぬ“経世会の七奉行”というのがありました。経世会とは、旧竹下派の呼称で、竹下総理と金丸副総裁が牛耳っていた派閥です。その竹下派には、七人のエースがいました。言い換えると派閥後継者候補です。橋本龍太郎、小渕恵三、梶山静六、羽田孜、小沢一郎、奥田敬和、渡部恒三がそれです。この七人は後継をめぐる派閥の分裂により、自民残留組(橋本、小渕、梶山)と、新党結成組(羽田、小沢、奥田、渡部)に分かれました。ご存知の通り、現在生き残っているのは、不思議な事に野党民主党の小沢、羽田、渡部の三氏だけです(小渕、梶山、奥田氏は死去、橋本元総理は引退)。今や経世会の後継である平成研は、小泉総理に滅茶苦茶にされ崩壊寸前。小泉さんの師匠である福田赳夫さんが、田中角栄さん(平成研の源流は田中派)にいじめられた(角福戦争)のがよっぽど悔しかったのでしょう。江戸の敵を長崎で…である。結局、豊臣政権同様、派閥内(組織内)抗争は、いらぬエネルギーを費やし、最悪は分裂によってスケールメリットを享受できない事になる。この選挙によって日本の政界を牛耳ってきた派閥の行く末が決まる。ある意味考え深い選挙となるだろう。
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