歴史上の人物の年齢などについて語られるとき、例えばよくこんな言い方がされます。「豊臣秀吉が淀君を側室にしたのは50歳ごろ。昔は平均寿命が短かったから、当時の50歳といえばかなりの老人だ」―――
これって、実はたいへん誤解を招く表現です。平均寿命というのは「0歳児の平均余命」のこと。例えば全人口が2人しかおらず、片方が70歳で死んで、もう片方が10歳で死んだとしたら、平均寿命は(70+10)÷2=40歳です。だからといって「40歳はかなりの老人だ」なんていったら、明らかにおかしいわけです。
人間が生物学的に何歳まで生きられるかというのと、平均寿命の概念とはまったく違います。そこらへんがごっちゃになっているから、冒頭のような表現が出てきてしまう。昔の人の平均寿命が短かったのは、栄養状態が悪かったり、医学が進歩していなかったことが主な理由で、平均を取るとそういう数字になるというだけのことです。だから50歳の豊臣秀吉に「老人ですね」なんて言ったら、そりゃあ怒られるでしょう。
もっとも、生物学的にいう人間の寿命が何歳までかというと、とある本によれば、なんと20歳ソコソコというではありませんか。これも誤解があってはいけないので別の言い方をすると、『“種”が滅びずに継続していくために最低限必要な寿命』ということ。そのためには20数歳より後は生きる必要がないというのです。それより後は無理して生きているのだと。
そりゃ確かに生物学的にはそうなんでしょうが、もし本当にそうなってしまったら、今のような人類の発展はありえないでしょう。逆に人間は、必要以上に与えられた時間の方が圧倒的に長いわけですから、その時間を有効に使って何かを成すべきだという教訓ではないでしょうか。(N)
|