はなしのたね。2015.vol.07
1:「日本人の美徳」のはなし。
 「日本人の美徳」と聞いて皆さんはどんなことを思い浮かべますか。真面目で勤勉、規則やマナーを守り秩序を重んじる、といった感じではないでしょうか。これは世界から見ても非常に評価が高く、誇りにしていい部分だと思います。ではどうして、日本人にそんな美徳が生まれたのか?様々な理由が考えられますが、江戸時代の「仇討ち」にその一端を見ることができます。
 「仇討ち」とは単純に敵討ちのことで、明治6年に「仇討ち禁止令」が発令されるまで幕府公認の称賛される行為でした。復讐という名目で殺傷行為が認められていたのです。仇討ちは記録に残っているだけで129件もあります。また、武士だけのものではなく一般庶民にも行われていたとされます。意外と知られていないのは、仇討ちにも作法やルールがあったこと、そして種類もあったことです。作法やルールについては長くなるので割愛。種類にはいろいろあって「衆道(しゅどう)敵討ち」、「後妻(うわなり)討ち」、「めがたき討ち」、など。そして今回の日本人の美徳につながるのがそのうちの一つ「差腹(さしばら)」です。
 「差腹」は仇討ちの中で最も確実な方法で、見つけた敵を自ら討つのではなく、先に自分で切腹し、討ちたい相手に遺書と刀を送りつけ切腹を迫る、というもの。迫られた者は、「それを断るのは武士の恥だ」として切腹しなければなりませんでした。この方法であれば力の弱い者でも確実に相手を殺せるため、けっこう頻繁に行われていたらしいです。もちろん自分の命と引き換えですが・・・。
 江戸の前期、小野正平という貧しい貧しい浪人がいました。同じく浪人に梶浦平治右衛門という者がいて、こちらは武芸に優れリッチな暮らしをする人気者でした。小野は自分と梶浦の境遇の違いを比べ、一方的に嫉妬し、差腹をしたのです。梶浦に対し切腹を迫る遺書を残し、自らの腹を切り絶命したのです。驚いたのは梶浦。小野に対して特に何もしておらず、恨まれる理由も何もないのに指名されてしまったのです。それでも梶浦は武士として断るわけにもいかず、切腹して果てたのです。
 この「差腹」はキツイ!相手の命に自分も命で応えなければいけないからです。ただの仇討ちなら返り討ちにできる可能性もあるのですが、差腹ではそれもできません。小野と梶浦の話はかなり極端な例ですが、どんなに理不尽な理由であっても規則やルールに従うのが武士であり、美しいとされる――― これが「日本人の美徳」形成の一因となっているのは間違いないでしょう。(N)

2:「アタマの体操・シケパ(脳トレ編)」
人間、読み書き算盤が肝心。脳を活性化しアンチエイジングに最適です。お役立て下さい。
【問題】
①「?」に入る言葉は?
②この創作漢字、何と読む?
③並べ替えて四字熟語を4つ作ってください

3:ハナタネ寄席
★ 社員A「きみは本当に社長のイエスマンだな」
社員B「それは間違っている」
社員A「というと?」
社員B「私はイエスマンではない。社長がノーと言ったときは、ちゃんとノーと言う」

4: 
前回の答え
①2(おんなのこ→のこ切り→女)
②オルゴール
③禁断症状・聖人君子・唯一無二・三々五々