あれ?家の鍵、かけたっけ・・・。あれ?部屋の電気、消したっけ・・・。あれ?ガスの元栓、締めたっけ・・・。誰もが出先で一度は経験したことがあるこの感覚。普通の人はそのまま用事を済ませ、家に帰って確認してみたら大概の場合はちゃんとやってある・・・というところまでが1セット。ところがこれを、たとえ用事の途中であったとしても家に戻って実際に確認をしないと気が済まないという人がいます。これは強迫性障害という精神疾患に見られる症状の1つで、一見無意味で不合理な「儀式的行動」であったとしても、それを自分の意に反して繰り返してしまうという非常に厄介なものです。
人間は不安感を感じると周囲の環境をコントロールしようとする、ということが実験によって証明されています。ある研究チームが62人の学生を無作為に選び、強い不安を感じさせるグループと、不安が少ないグループに分け、次のような課題を指示しました。強い不安を起こすグループには、金属の彫刻に関するスピーチを準備させ、それを彫刻の専門家の前で発表してもらう、という課題。もう一方のグループには、スピーチの準備だけで発表は必要ないという課題。その後、両方のグループにテーマである実物の彫刻を布で磨くように指示したところ、発表まで行うという課題を出されたグループの方がもう一方に比べて「磨く」という作業により多くの時間をかけるという結果になったのです。これで分かるのは、ストレスと「儀式的行動」の関連性。つまり先述のような無意味な行動を繰り返す強迫性障害は、強いストレスによって引き起こされるのではないかという考察が成り立ちます。彫刻の実験では、「磨く」ことにさして意味はないのに、ストレスにさらされることで必要のない行動に時間を割いてしまっているわけです。
ただ、人には「ルーティーン」というものがあります。何気ない毎日の中で、無意味だけど絶対やっている行動、というのが誰しも1つぐらいはあると思います。私で言うと、寝る前に必ず玄関の鍵がかかっているかを確認します。そうしないと寝付けないのです。もし「無駄だからやめろ」と言われたら、ちっとも寝付けず次の日の仕事に大きく影響が出ます。でもこれを「精神疾患だ」とか「強迫性障害の一歩手前だ」というのは無理があります。精神的な病の線引きが難しいのは、ただの癖や心配性との区別がつけ辛いところにあります。
イチローがバッターボックスに入ると、毎回必ず同じ動作をします。例えばバットを持った右手の袖をピッと引っ張るアクション。「あれに意味があるのか」と言われたら、ないです。あれでバットコントロール技術や選球眼が瞬間的に良くなるわけではありません。でもあれを「やるな」と指示したら、イチローの打率は必ず下がります。「意味はないけど意味がある」―――人間の行動は理屈だけでは語れないのです。ところで今日、ちゃんと家の鍵かけてきました?(N)
|