織田信長を知らぬ人はいないだろう。しかし、織田信長が岐阜に9年もの間、住んでいた事はあまり語られない。比叡山を焼き討ちしたのも、足利将軍を追放したのも、姉川の戦いで浅井朝倉軍を殲滅したのも、武田勝頼と長篠で戦ったのも、全て岐阜時代の出来事である。
この9年間に、実父織田信秀、義父斉藤道三の遺志を継ぎ、天下統一の足掛かりを固めたのである。父信秀は、軍事面(尾張制圧)と経済面(津島)に優れた武将であり、義父道三は政治力(駆け引き)と文化面(茶道)に優れた武将であった。これらの才能を受け継いだのが織田信長である。類まれな軍事、政治、経済、文化全てに優れた武将となったのである。
中でも文化面では、「武井夕庵」と「不住庵梅雪」が、織田信長の文化政策をリードした。武井夕庵は、老練な官僚で物事の考え方(禅の教え・天下布武)を政治の中に取り込み広めた。また、不住庵梅雪は、道三のお茶の師匠であり、信長の初期のお茶の師匠でもある。こうした美濃における文化面のサポートが、ノブナガのおもてなしに繋がったのであろう。美濃(岐阜)の文化が、織田信長を育てたと言っても過言でないだろう。(S)