新潟、福島研修

皆様、大変ご無沙汰をしております。

仕入GのOHでございます。

長い間、サボっておりましたが、今日から復活であります。

今回は先週末に行って来た、研修会についてお話します。

私OHは新潟県のある製紙メーカー様の方に工場見学に行って参りました。

一日目は、朝早く自宅を出発して、AM8:05発の真っ黄い飛行機で遥々新潟県まで飛びました。

天候はみぞれのち雨、簡単に言えば完全たる雨。

しかし飛行機は早い!!

あっという間に新潟県に到着です。

飛行時間は約50分。

到着後、ある製紙工場を見学させて頂きました。

今回は特殊繊維ボードをメインに抄紙機の段階から仕上までの工程を見せて頂きました。

特殊繊維ボードの工程ということも有り、貼り合わせの部分、薬品加工の部分、またその余分な薬品を洗い流す工程など今までの抄紙機の工程とは違い、初めて見るものも多く勉強になりました。

見学後は、懇親会も兼ねて福島県の東山温泉にて親睦を深めて参りました。

二日目は、福島県会津地方の観光です。

皆さん、福島県会津地方と言えば?

そう! 大河ドラマでもやっています八重の桜です。

それもあり、鶴ヶ城、新島八重さんゆかりの城を見学してきました。

その後は飯盛山(白虎隊自刃の地)に行きましたが、この私の体には、駐車場から現地まで行く階段が非常に辛く、登りきった頃にはもう足がパンパン状態になりました。

次の、末廣酒造嘉永蔵さんの見学では、昼間から試飲をさせて頂き、ほろ酔い気分にさせて頂きました。

その後、マリンピア日本海(水族館)で魚とたわむれて、岐路名古屋空港へと戻って参りました。

天候は二日共良くない状況でしたが、なぜかほっとする會津弁に癒されながら、楽しい研修会参加させて頂きました。

皆さんも一度、新潟、福島の方へ足を運んで下さい。

きっと楽しい、思い出に残る旅になると思います。

寒さも本格的になってきました。

風邪をひかない様、皆様ご注意下さいませ!!

信長を育てた街・岐阜

 織田信長を知らぬ人はいないだろう。しかし、織田信長が岐阜に9年もの間、住んでいた事はあまり語られない。比叡山を焼き討ちしたのも、足利将軍を追放したのも、姉川の戦いで浅井朝倉軍を殲滅したのも、武田勝頼と長篠で戦ったのも、全て岐阜時代の出来事である。

 この9年間に、実父織田信秀、義父斉藤道三の遺志を継ぎ、天下統一の足掛かりを固めたのである。父信秀は、軍事面(尾張制圧)と経済面(津島)に優れた武将であり、義父道三は政治力(駆け引き)と文化面(茶道)に優れた武将であった。これらの才能を受け継いだのが織田信長である。類まれな軍事、政治、経済、文化全てに優れた武将となったのである。

 中でも文化面では、「武井夕庵」と「不住庵梅雪」が、織田信長の文化政策をリードした。武井夕庵は、老練な官僚で物事の考え方(禅の教え・天下布武)を政治の中に取り込み広めた。また、不住庵梅雪は、道三のお茶の師匠であり、信長の初期のお茶の師匠でもある。こうした美濃における文化面のサポートが、ノブナガのおもてなしに繋がったのであろう。美濃(岐阜)の文化が、織田信長を育てたと言っても過言でないだろう。(S)