先日、弊社のある岐阜市に隣接した北方町の「北方中学校」の生徒会のみなさんが、3.11で被災された福島県郡山市の仮設住宅の方に、1トンものお米をお送りした。これは、生徒が被災地の現状を知り、何かお手伝い出来ないかと、お米で支援することを思いついた。その名も「がんばろう米」。なんと楽しいネーミングだ。多分、福島の方も喜んでくれただろう。弊社も些少ながら、社員が持ち寄ったお米を北方中学校にお届けした。大人になると、こうした活動は、なかなか出来ないが、中学生の力を借りて出来たことを嬉しく思います。
さてその昔、お米はお金であった。江戸時代、お米が経済の中心で、何もかもがお米で計算された。従って、米が不作になると、経済も悪化した。米1石は150kg。また、米1石は1両に相当する。当然、不作になれば米の値が上がる。買占めをしても上がる。逆に、豊作であれば、米の値が下がる。従って、江戸時代には貨幣の価値が上下した。江戸初期では、現在の貨幣価値に換算すると1両=15万円。江戸中期で1両=6万円ほど。幕末の後期では1両=1万円。小判の価値が下落したのだ。これでは、苦労して作ったお米も台無しだ。こんな意味から、お米1粒を大切にする心が、日本人に育まれたのだろう。そして、それが転じ、ものを大切にする気持ちや、人に優しくする日本人独特の気風が生まれたのだろう。そして、そんな思いやりの気持ちが、今の中学生にも受け継がれているとしたら、嬉しい限りである。(S)